教育長ブログ

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山田肖子『知識論―情報クラウド時代の"知る"という営み』(東信堂)を読みました

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月刊『教職研修』で連載が始まったということで、しかもアフリカの研究者ということで、どんな方なんだろうと思い読んでみました。「越境ブックレットシリーズ」という謎の名前、さらに、第1巻なのにこの前に第0巻もあるという謎の展開です。

読んでいくと、越境とか逸脱とかアンチテーゼとかいう言葉に、大学の教養学部の時の気分をちょっと思い出します。普段、こういうのといかにかけ離れた世界で仕事をしているかも再認識します。

さて、著者いわく、個人が認識したことが「知識」だとする西欧の知識観に対して、アウトプットされ共有されて初めて「知識」となるというのが、アフリカ伝統社会の知識観だということです。

一瞬「ん??」となりますが、確かに、個人が知っていることだけが知識なのか、と言われれば、本に書いてあることやネットに載っていることも、知識と呼べるかもしれません。個人の頭の中に全部入っていなくても、利用可能な状態であれば意味があります。

著者は、ネット時代、クラウド時代には、こうしたネットワーク型の知識という捉え方も有効だと説きます。そこから社会の学校化、学歴、知的財産などに考察を広げてゆきます。

ただ、気を取り直して考えてみると、このように共有されているものを、私達は「知識」よりも「知・智」と呼ぶような気もします。英知や人知といった言い方もします。アフリカ伝統社会の知識観も、ネットワーク型の知識も、「知」という言葉で呼べば、それほど馴染みのない概念ではないのかもしれません。

ブックレットなので薄い本ですが、普段読む本と違うテイストだったことは間違いありません。自分が普段やっていることが一体何なのか、別の見方もできるのではないかと問い直すことは、頭をリフレッシュするためにも、そこから新しい考えを広げるためにも、有効だと感じた本でした。