AI時代の教育(その2) :義務教育の役割自体の見直しが必要に
※日本教育新聞に寄稿した記事を、許可を頂いて転載します。
前回(3月20日付)に引き続き、AIによって教育がどう変わるのかを考えてみたい。
AIがもたらすのは、仕事や社会の在り方の変化であり、産業革命で起きた変化と同等のものといえる。産業革命によって肉体労働が機械に置き換わったように、AI革命によって頭脳労働が機械に置き換わるからだ。
産業革命は、均質な工場労働者を大量に必要とする一方で、児童労働などの問題をもたらした。こうした背景から、義務教育を伴う近代学校制度が誕生した。
AI革命が産業革命と同等の社会的変化をもたらすならば、教育についても、近代学校制度の誕生に匹敵する変化が起きる可能性がある。それが数年後なのか、数十年後なのかは分からないが。
もしそうだとしても、近代以前から今まで変わらず教育の役割であったものは、今後も残ると考えるのが妥当だろう。一方、近代学校制度に伴って入ってきた要素については、先行きは極めて流動的となる。
(1) 今後も変わらない教育の役割
いつの時代も変わらぬ教育の役割は、基本的な生活能力や社会の価値観を伝えることである。
基本的な生活能力とは、衣食住や読み書きそろばんなど、日常生活で必要となるスキルである。現代では、健康や医療についての基礎知識などもこれに含まれる。
社会の価値観は、産業革命以前でいえば、宗教や道徳、職業倫理などがその代表である。現代では、基本的人権、民主主義、平和主義といった憲法上の価値や、それらを担保する仕組み(社会保障、選挙、裁判など)がこれに該当する。経済、犯罪、交通といった社会のルールも、これに含んでよいだろう。
(2) 今後は流動的になる教育の役割
今後大きく変わるのは、教科のうち(1)に含まれない内容である。これらを用いる仕事の多くをAIが担うようになれば、一般人が学習するインセンティブは激減しかねない。
近いうちに、AIによって親が失業したという児童・生徒が現れてもおかしくない。そうした子どもや保護者に、従来の教科が役立つと言ったところで、どれほどの説得力があるだろうか。
そうであれば、(2)に該当するものについては、個人の自由度を高め、それぞれが学びたいことを学びたいように学ぶ、という柔軟な仕組みに移行せざるを得ないと考える。こうした変化への準備を(まずは心の準備かもしれないが)しておく必要がある。
なお、学校の役割を(1)を中心に再構成するならば、現在の教育課程の構成や義務教育年齢についても、再検討が求められるはずである。
文科省は、次期学習指導要領に向けた検討を始めている。しかし、2030年の社会状況、ましてやその先10年間の状況など、到底予測できない。10年に1回の改訂ではなく、4年に1回の教科書採択に合わせて、現行指導要領を修正していくという方法を考えてもよいのではないか。
(日本教育新聞 2023年5月22日付「提言」掲載)