教育長ブログ

熊本市教育長(H29.4~) facebookの投稿から主なものを転載しています。 https://www.facebook.com/hiromichi.endo

時代とともに変わる資質・能力:「AIの苦手分野が人間の役割」から脱却を

日本教育新聞に寄稿した記事を、許可を頂いてブログに転載しました。

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技術の進歩は、私たちが必要とする資質や能力に絶えず変化をもたらしている。教育の世界ではしばらくの間、知識の暗記よりも、思考力、判断力、表現力や課題解決能力が重要だといわれてきた。平成時代の学習指導要領に示された「新学力観」や「生きる力」がその象徴である。しかし最近、いよいよその「平成の常識」を再考すべき時が来たと感じている。

一例を挙げよう。東京大学の入試では、毎年ユニークな英作文が出題される。イラストを見せて「絵に描かれた状況を自由に解釈し、英語で説明せよ」といったものである。まさに、単語や文法の暗記ではなく、思考力、判断力、表現力を試すという意図であろう。平成の学力観でいえば、良問であり、難問であると言ってよい。

ところが、今ではそれこそがAIの得意技となってしまった。例えば、生成AIの代表格であるChatGPTには、画像認識機能が最近追加された。画像をアップロードすれば、絵でも文字でも数式でも、そこに描かれたものを読み取ってくれる。内容を英語で説明してほしいと言えば、すぐに流ちょうな答えが返ってくる。

つまり、算数ドリルでも大学入試でも、写真を撮ってアップロードするだけで、誰でも簡単に解けてしまう時代になったのだ。恐ろしい時代である。私が今の子どもなら、大人になるまで学習を続けるモチベーションを保つのは容易ではないだろうと思う。
そんな時代の人間の役割は何か、という議論で必ず出るのは、AIの苦手分野が人間の役割だという主張である。しかし、私はそれに異議を唱えたい。

確かに、AIには苦手分野がある。現在の生成AIの場合、それは正確性だ。基本的な知識で誤りをよく犯す。先日、「ごんぎつね」について尋ねたら、宮沢賢治の童話だと言って、キツネと猟師の恋愛物語を紡いでくれた。基礎知識は不十分だが、思考力、判断力、表現力は人並み以上なのだ。これまでの「機械」のイメージとは逆である。

だからといって、AI時代の人間の役割は、知識を間違いなく覚えて、口達者なAIの誤りを修正することではないだろう。実際に生成AIを使っていると、そんな作業が多いのは確かだが、それこそが人間の役割というのでは、あまりにむなしい。

今後、時間とともにAIの正確性は向上し、思考力、判断力、表現力にも磨きがかかるはずである。AIの苦手分野は日々狭まっていく。全人類がそれをなりわいにするなど、非現実的である。それは、どんどん狭くなる崖っぷちで生きるようなものだ。毎日誰かが崖下に転落していき、最後には誰も残らない。

それならいっそ、AIより人間の方が得意なものなどない、という前提に立って考えた方がよい。それでも人間は生きていく。それならば、AIの得手不得手など関係なく、人間にはあらゆる可能性が開けていることになる。知識が好きな人は知識で、表現が好きな人は表現で、生きていける世界を創ればいい。AIができないことを探すのではなく、人間としての価値や生き方を見つめ直すべき時が来たのだ。

日本教育新聞 2023年11月27日付「提言」掲載)

※画像はChatGPTがこの記事用に作成した挿絵です。