教育長ブログ

熊本市教育長(H29.4~) facebookの投稿から主なものを転載しています。 https://www.facebook.com/hiromichi.endo

教育長だより ー 今こそ冷静に見つめたい、コロナ禍と学校の課題

※月刊「日本教育」に寄稿した記事を、許可を得てブログに転載させて頂きます。

今年3月に卒業する中学生・高校生は、コロナ禍が始まってから今の学校に入学した世代である。学校生活の大半をマスクで過ごし、自分の素顔を見せず、友達の素顔を見ないまま卒業することになる。さらに小学生以下の世代は、そもそもマスクをしない日常生活の記憶すら、ほとんどないかもしれない。

そうなると、マスクを外していいよと言われても、外すのは恥ずかしい、マスクをしている方が心地よい、と感じる子供たちも多いだろう。また、食事中に人と会話をしたり、声をかけ合ってチームプレーをしたりする経験も、上の世代より少ないはずである。

今後、それより下の世代がノーマスクの学校生活に戻るならば、現在の小中高校生の世代だけが、他の世代と比べてコミュニケーションに困難を抱える割合が極端に高い、といった事態が起きてもおかしくない。

私たち大人は、これまで学校で徹底した感染対策を行ってきたことの責任として、その功罪を継続的に検証していかなければならない。その上で、もし「マスク世代」が、(例えば「氷河期世代」のように)生涯にわたって社会的に不利な状況に置かれるような場合には、その支援に社会全体の問題として取り組んでいく必要がある。

もう一つ、コロナ禍が明らかにした深刻な課題がある。(私も含め)現在のほとんどの日本人や日本の組織は、「どのような時にマスクを着けるか」を誰かに決めてもらわなければ、自ら判断して行動できないということである。

これは決して皮肉ではなく、現実である。政府が「マスクを着用するように」と言えば、個人も学校も企業も、メディアも政治家も、それが正しいこととして行動するし、そうしない人達を非難し排除する。その状態を終わらせる際にも、各自で判断し行動するのではなく、政府に解除してもらうことを選ぶ。

かといって、政府を信頼して判断を委ねているというわけでもない。政府が屋外ではマスク不要と言っても、周りが皆マスクをしていれば、マスクをする。逆に、海外に行って周りが皆ノーマスクなら、自分もノーマスクにする。結局のところ、周りから浮かないようにしたいという、極端なリスク回避志向なのだ。

これが、「自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」という「生きる力」を目指してきた日本人の現在地であることを、冷静に認識する必要がある。少なくとも、これまでの日本型学校教育は、学習指導要領がどう変わっても、生きる力を育てることに成功してはいないのだ。

リスク回避が至上の価値とされる社会では、自ら判断し行動する力など望むべくもない。これまで目指してきた教育は、それが実現できる前提を欠いていたのである。ならば、まず何をするにも、こうした社会の変え方を具体的に学ぶ必要がある。そのような現状認識に立って、今後の学校教育を構想していきたい。

これで私が担当する「教育長だより」は最終回となります。一年間お付き合いくださり、ありがとうございました。

ー「日本教育」令和5年2・3月号掲載