教育長ブログ

熊本市教育長(H29.4~) facebookの投稿から主なものを転載しています。 https://www.facebook.com/hiromichi.endo

AI時代の教育:必要なのは資質・能力の「向上」ではなく「転換」

日本教育新聞に寄稿した記事を、許可を頂いて転載します。

世界中の教育関係者の間で、AIの劇的な進化が話題となっている。きっかけは、対話型AIのChatGPTの登場である。筆者もよく使っているが、質問にスラスラと回答する様にはいつも驚かされる。その後も新しいAIサービスが続々と誕生し、新興企業から巨大企業までを巻き込む大競争時代となっている。

この勢いで開発が進めば、1年後には今とは別世界の進化を遂げていることだろう。AIが作る文章はまだ完璧ではないが、すぐに人間が書いた文章よりも上手になるはずだ。このような歴史の転換点を迎えて、学ぶ意味とは何か、人間が仕事をする意味とは何かが、改めて問われている。

こうした議論の中では、AIも間違えるので、それをチェックするためにも人間の力が必要だとか、AIにも苦手分野があるので、それこそ人間の役割だといった主張を聞くが、私はそうではないと思う。それでは、人間の役割はAIの補完になってしまい、主従が逆転してしまうからだ。「AIができないことを人間がやる」のではない。「人間ができないことをAIがやる」のだ。

道具の役割は、人間を補完し、人間の能力を拡張することである。人間は空を飛べないから、飛行機を使って飛ぶのであり、人間は100万桁の計算を簡単にできないから、コンピュータを使うのである。同様に、人間は知らない言語を翻訳したり、議事録を瞬時に要約したりできないから、AIを使うのである。生身の人間の能力を超えた仕事にこそ、道具の存在意義がある。

これと表裏一体ではあるが、道具の進歩には、人間の能力を落とす効果もある。現代人の身体能力は、狩猟採集民よりも、江戸時代の農民よりも、劣っているに違いない。知的能力の面でも、私たちは既に、固定電話の時代ほどに電話番号を覚えられなくなっている。これらは日常生活で不要な能力になってしまったからだ。文書作成能力も、AIに頼る時代になれば、今より落ちることは避けられない。

一方で、現代人には、狩猟採集時代にも、江戸時代にも、固定電話の時代にも必要なかった、デジタルスキルが求められている。いつの時代にも「道具がやってくれる能力」は衰える一方で「道具を使う能力」の重要性は高まるのである。

そう考えれば、児童・生徒から教職員まで、あらゆる問題を「資質・能力の向上」で解決しようとする、文科省中央教育審議会的な発想の限界は明らかである。求められるのは「資質・能力の向上」ではなく「資質・能力の転換」なのだ。道具の進化につれて、低下してもよい資質・能力についても、目を背けずに議論すべきである。

この点で最後に私見を述べれば、今後はAIがやってくれる「課題解決能力」の必要性は薄れ、AIに課題を与える「課題創造能力」や「課題定義能力」が重要になると考えている。

日本教育新聞 2023年3月20日付「提言」掲載)