教育長ブログ

熊本市教育長(H29.4~) facebookの投稿から主なものを転載しています。 https://www.facebook.com/hiromichi.endo

教育長だより ー 稼げる学校・教育委員会へ

※月刊「日本教育」に寄稿した記事を、許可を得てブログに転載させて頂きます。

 「予算が足りない」というのは、全国の学校や教育委員会における普遍的な悩みだろう。人が足りない、施設が古い、モノが買えないなど、学校にまつわる問題の多くは、最終的にはお金があれば解決できる話である。

 極論すれば、働き方改革も、学校に教職員が今よりずっと多ければ解決できるのであり、教員のなり手不足も、教職員の給料が今よりずっと高ければ解決できるのである。予算がなくてそうできないから苦労しているのだ。

 では今後、あらゆる教育課題が解決できるほど、持続的に教育予算が増えていくかといえば、その保証はない。もちろん、そうする努力は必要だが、右肩上がりの成長が望めない現在、どの政策分野も慢性的な予算不足である。単に予算要求するだけで、予算がつかなければ諦めるというのでは、いつまで経っても問題は解決しないだろう。

 そうであれば、もう一つの方法は「自ら稼ぐ」ということである。私は以前、官僚を辞めて友人とともに小さな会社を経営していた。その時には、信用も何もない身でお金を稼ぐことの難しさを痛感した。経営がなんとか軌道に乗るまでの苦労はいまだに忘れない。組織に頼らず、お金を頂くことは簡単なことではないと、身を持って知った。

 それに比べれば「学校」という存在の信用は絶大である。企業であれ個人であれ、寄付先として、学校以上に信頼でき「善いこと」をしたと言える存在はなかなかない。子ども達の未来のために寄付をすることは、誰もが称賛する行為である。つまり、これほど堂々と「お金をください」と言いやすい存在はないのだ。

 以前、私が校長にそうした話をした際には「それは学校の仕事ではない」と言われたことがある。しかし、そうだろうか。私が留学していた米国の大学からは、毎年しつこいほどに寄付を求める手紙が来る。たった2年間留学していただけなのに、20年以上経った今でも、必ず来る。しかし、幼稚園から大学まで、私が卒業したはずの日本の学校からは、一切そのような手紙は来ない。そうすると、人の気持としては、いつも連絡をくれる方に寄付したくなるものだ。私を卒業生として忘れないでいてくれるのだから。財政的に潤沢だと思われている米国の大学も、そうした苦労の積み重ねで成り立っているのだ。

 熊本市では今年度から、学校を指定して寄付を受け、全額がその学校の独自財源になる仕組みを整えた。これまでも、学校の自販機収入を学校の独自財源にする仕組みや、テレビ局と提携してCM収入を使って教育委員会のイベントを運営するなど、財源確保の工夫をしてきた。これらは当然、公費による教育費は増やした上でのことであり、決して公費負担を転嫁しているわけではない。

 寄付といっても、児童生徒や保護者の負担を増やしてしまっては意味がない。そうならないよう、社会全体で負担するという形で、学校運営の財源を確保する方策がもっと検討されてよいだろう。地域で学校を支えるためには、ボランティアなどの「労働」で支えるだけでなく「お金」で支える方法もあるのだ。

ー「日本教育」令和4年6月号掲載