教育長ブログ

熊本市教育長(H29.4~) facebookの投稿から主なものを転載しています。 https://www.facebook.com/hiromichi.endo

学校の役割を問い直す 子どもの「現在の幸せ」を保障する場に

日本教育新聞に寄稿した記事を、許可を頂いて転載します。

 

学校の役割を問い直す 子どもの「現在の幸せ」を保障する場に

 学校の機能のうち、オンラインでは決して提供できないものがある。学習や友達との交流は、オンラインで多少なりとも可能であるが、「食事と居場所」の提供は、物理的に不可能なのだ。臨時休校中に決定的に欠けてしまったのは、家に食事や居場所がない子どもへの福祉的機能であった。

 公教育の目的は、個人と社会の将来のために必要な資質・能力を身に付けること、言い換えれば、個人と社会の「将来の幸せ(ウェルビーイング)」である。しかし、子どもは「将来の幸せ」のためだけに生きているわけではない。子どもは子どもとして幸せである必要がある。

 子どもにとって学校は、将来の準備の場であるとともに、そこで長時間の生活をする場でもある。従って、現に子どもが生活する施設として、「現在の幸せ」を保障することも、学校の重要な役割である。「食事や居場所」のような福祉的機能はその一部だといえる。

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 学校や教育委員会は、子どもの「将来の幸せ」の保障(教育)の専門家ではあっても、「現在の幸せ」の保障(福祉や人権)の専門家ではない。そのため、不登校、いじめ、自殺、体罰、校則、さらには家庭との関係など、子どもの「現在の幸せ」に関わる問題が十分に解決できていない。

 学校が子どもの「将来の幸せ」と共に「現在の幸せ」を保障できれば、保護者や教職員のウェルビーイングの向上にもつながる。実際、保護者から学校への苦情の多くは、子どもの「将来の幸せ」よりも、先ほど挙げたような「現在の幸せ」に関するものだ。「現在の幸せ」の保障は、学校の弱点なのである。

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 子どもの「現在の幸せ」を正面から保障する学校づくりのためには、学校や自治体の努力だけでは限界がある。予算や人員、法律などの仕組みづくりが欠かせない。

 本来、「現在の幸せ」を保障するのは、全ての国民(大人も子どもも)に対する国家の責務である。実際、憲法や児童の権利条約には、「現在の幸せ」と「将来の幸せ」の両方の保障が書かれている。

 しかし、それらを具体化するような、子どもの権利や自由の保障を体系的に定めた法律はない。

 特に学校関係の法律では、子どもの「現在の幸せ」の保障は、体罰の禁止など限られた各論にしか書かれていない。法律上、学校の役割は教育だけなので、教育の目的である「将来の幸せ」に重きが置かれているのだ。法律面でも、子どもの「現在の幸せ」への意識が希薄な状況だといえる。

 そこで、「将来の幸せ」を保障する教育基本法と、「現在の幸せ」を保障する子どもの権利や自由の基本法(「子ども基本法」と呼ぶ人もいる)の下、学校はその両方を実現する場と位置付けるというのが、学校の将来像だと考える。人員も、教育職員(「将来の幸せ」の専門家)と、福祉などを担う職員(「現在の幸せ」の専門家)の両方を配置すべきだ。

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 こうした体制整備には時間がかかるとしても、まずは身近なことから取り組めることはある。例えば、教室や廊下に、規則や標語が所狭しと貼ってある学校を見ることがある。たとえ将来のためにという意図だとしても、決して居心地のいいものではない。大声での威圧的な指導なども同様である。

 あまりにも「将来の幸せ」に偏り過ぎたバランスを、もう少し「現在の幸せ」に移していくだけで、学校の雰囲気は大きく変わるはずだ。

(令和3年8月23日 日本教育新聞5面「提言」掲載)