休校中、オンライン授業をどんどん推進している間、ずっと手元に置いていた本はこの2冊です。斎藤喜博『授業』、林竹二『教えるということ』。
「え?」と思われる方もいるかもしれませんが、思いっきり昭和の本です。EdTechとか、イノベーションとか、そういうのではありません(そういう本もたまに読みますが)。
私は、授業の本質というのはいつの時代も変わらないと思っています。「授業とは、子どもたちが自分たちだけでは到達できない高みにまで、自分の手や足をつかってよじのぼるのを助ける仕事である。」授業とは何か、というのは、林竹二のこの言葉に尽きると思います。
まだ新人だった頃にこの言葉に出会って以来、私の授業に対する考え方は何一つ変わっていません。私は教師ではないので自分で授業はしませんが、熊本の学校の先生方にしてほしいことはこれに尽きます。それは、教室の授業でもオンライン授業でも何ら変わるものではありません。
もちろん、授業のスタイルは様々です。時代によっても変わるでしょう。斎藤喜博の、子供達の考えを否定しまくる授業。林竹二の、ひたすら講義形式の授業。どちらも今の時代は流行らないし、今やっても子供達は面食らうだけでしょう。
しかし、これらの授業も、子供達が主体的に学んでいる、(表面的ではない)対話が成立している、深く学んでいるという「主体的・対話的で深い学び」を実現する授業に他なりません。こうした授業の本質は、時代を超えて、スタイルを超えて変わらないことを確認するために、休校中の3か月間はずっとこの2冊を、本棚から出して机の上に置いていました。
ちなみに、お読みになった方も多いとは思いますが、2冊ともボロクソの教師批判です。ダメな教師が日本を滅ぼす、くらいの勢いで書いてます。そして自分の授業を自画自賛...。 なかなか今ではそんな教育書もないでしょうね(笑)。さらに言えば、斎藤喜博が本一冊かけて書いていることを、ワンフレーズでさらっと言ってしまう林竹二のセンスは驚異的だと思います。