教育長ブログ

文科省→起業→熊本市教育長

教育長だよりー「出席」と「授業参加」をどう評価するか

 本年度、日本教育会が発行する雑誌「日本教育」に「教育長だより」という連載をさせて頂くことになりました。許可を得てブログに転載させて頂きます。

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 今号から一年間、地方から見た教育の現状と課題についてお話する「教育長だより」を執筆させて頂くことになりました。特に、文科省の偉大な先輩である合田審議官の隣のページということもあり、大変恐縮しております。若輩者ではありますが、何卒お付き合いの程、お願い申し上げます。

 さて、この2年間の地方教育行政といえば、新型コロナ一色だったと言っても過言ではない。全国一斉の臨時休校に始まり、相次ぐ行事の延期や中止、GIGAスクール構想の前倒し、感染者や濃厚接触者への対応、児童生徒の心のケアなどなど、数え上げればきりがない。かくいう私も今、この原稿を書いている時点で、濃厚接触者として自宅待機中である。

 この大波を経て大きく変わったのは、「出席」という概念だと私は思う。通常の授業と同じではないにせよ、自宅にいてもオンラインで授業の一部に参加できるということは、「そもそも出席とは何か」という問いを私たちに突きつけた。教室で寝ている子と、自宅からオンラインで発言している子。これまでの分類でいえば、前者が出席で、後者が出席停止や欠席ということになるが、本当にそれでいいのか、という疑問が浮かぶのは自然なことだ。少なくとも、どちらが主体的に学習をしているかといえば、後者に違いない。

 物理的に学校に来ることを「出席」と呼び、それは「授業への参加」と別の概念なのであれば、後者こそを評価すべきではないだろうか。他方、不登校が続いていたが、なんとか保健室や別室に登校できるようになった、でも授業には参加できない、といった児童生徒もいる。その場合にも、物理的に学校に来ること自体より、孤立せず、人とのつながりを持とうとする姿勢こそが評価されるのではないか。

 そう考えると、物理的な位置関係を、教育を受けたかどうかの評価基準にするのはやはり無理がある。以前、オンライン授業を「出席」にするか「出席停止」にするかという議論があったが、本質は呼び方ではなく、そもそも何をもって履修や修了を判断すべきなのか、ということである。

 今後、「社会に開かれた教育課程」という考え方を発展させていけば、社会全体が学びのフィールドになっていく。学校外の活動を学校の教育課程に位置づけることも増えるだろう。それならば、なおさら「物理的に学校に来ること」を評価基準とする考え方は成り立たなくなる。

 オンライン授業について、一定の質を保証するための基準を作るという議論もある。そうなると対面授業についても、一定の質をどう担保するのかという議論が不可避となる。場合によっては、これまで学校で行われていた授業の一部は、その基準を満たさないかもしれない。我々は、「学校とは何か? 授業とは何か?」という疑問を正面から突きつけられているのだ。

 物理的な位置ではなく、認知能力や非認知能力の育成に寄与する活動をしたかどうかが評価される、本質的な履修の基準を策定すべき時が来ていると思う。

ー「日本教育」令和4年4・5月合併号掲載