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政策作ってる人のブログ

政策をつくる仕事をしながら、考えたことを書いてみます。

ヤジの話で思ったこと(政策立案者と政策対象者の関係)

都議会のヤジの話についてはもう言い尽くされた感もあるけれど、一応思ったことを書いておきたい。僕が考えたのは、今回のヤジを、セクハラかもしれないが「正論」だ、と思った人が一定数いたのはなぜかということだ。

 

今回のヤジを正当化する理屈があるとすれば、「結婚や出産を経験していない人間に、子育て支援の政策はできない」というものではないか。そして、この考え方はある程度広く共有されているように思う。僕自身、まだ独身の頃に少子化対策の仕事をしていて、「独身で子供もいないのに、少子化対策ができるのか」とよく言われたものだ。これが今回のヤジを「正論だ」あるいは「セクハラだけど100%間違ってはいないかも」と思わせる原因ではないか。

 

これは一般化すれば、「当事者でなければ政策は作れない」という考え方である。実はこの考え方は、少子化対策に限らず、かなり広い分野に見られる。農業やってない人間に農業政策がわかるか、政治家や官僚に庶民の気持がわかるか、というように。しかし、これは事実なのだろうか。

 

考えてみれば、これまで作られてきた多くの政策は、当事者が作ったものではない。また、当事者でなければ作れないわけでもない。政策立案者と政策対象者は違うのである。生活保護受給者でなければ生活保護政策ができないわけではない。農業政策を作っている人がみな農家でもない。医者が、自分がなったことのない病気を治せるのと同じだ。

 

一方で、当事者にしかわからない部分があるのも確かである。病気の苦しみは、かかってみないとわからない。だから患者の意見を聞いた方が、よりよい治療になるはずだ。同じように、当事者の意見を聞いた方が、または当事者が政策立案に参画した方が、よりよい政策ができるだろう。政策対象者も政策立案に参加すべきだ、ということである。

 

 これを今回の件に当てはめると、結婚して子供を産んだことがなくても、子育て支援の政策はできる。だから今回のヤジは正当化できない。しかし、実際に子育てをしてみないとわからないことがあるのも確かだ。だから、子育て支援の政策は、結婚・出産の経験がある人も参加して作った方が、よりよいものになるだろう。

 

だから、もし今回のヤジが「結婚してる人の意見も聞け」というヤジだったならば、極めて真っ当な意見だったことになる。そうでなかったのは残念な限りだ。