「負担と負担感は違う」と言う教員こそ要注意
よく、教員の働き方改革の議論をするときに、「負担と負担感は違う」という意見があります。それに関して先日、職場でこんなことを話しました。
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「負担と負担感は違う」と言う教員こそ要注意。
なぜなら、そうした言い方は、「子どものためになっていると感じられる時間なら、何時間でも負担ではない」といった、負担(長時間労働)を正当化する理由になりやすいから。そして、自分が知らないうちに無理をしているかもしれないから。
例えば、部活を長時間していても、自分が負担に感じなければよいというものではない。その人は、自分は良いかもしれないが、周りの負担が見えていない。そういう教員の働き方こそが、周りの教員(と、場合によっては子ども達)の負担と負担感の原因になっている。家族も犠牲になっている。その自覚を持つべきだ。
聞くところでは、「学校閉庁日にも部活をやることにしているが、そういうものは負担感を感じない」と言った教員がいたらしい。
まず、学校閉庁日に部活をやるのは明らかなルール違反。ルールを守れない奴に部活を指導する資格はない。そして、その教員が部活に来ることで、周りの教員までが部活に来ざるを得ない雰囲気になりかねない。まさに、「負担感がなければいい(=自分さえ良ければよい)」の最たる例である。そういう考え方を変えることこそが働き方改革だ。
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管理職はもちろん、教員一人一人が、主観的な負担感だけでなく、客観的な負担を把握できるようになる必要があると考えます。
客観的な負担を見れば、休み時間も満足に取れないという今の学校現場に、問題があることは明らかです。その状態で、主観的な負担感だけ減らしても解決になりません。だからこそ、教育委員会としては、負担と負担感の両方を軽減する必要があります。
ちなみに、その学校閉庁日に部活をするつもりらしい教員の話を聞いた後に、「校長を通じて指導した方がいいんじゃない?」と次長に言ったところ、「もう校長に電話しました。」と。
最近の教育委員会は仕事が早くていいです(笑)