「おつもり」は敬語?
国会や地方議会の質問を作る仕事をしていると、たまに「おつもり」という言葉を聞く。というか、私もたまに原稿で使う。
「おつもり」とは、「つもり」に「お」が付いたもの。「考え」に「お」が付いて「お考え」になるのと同じようなものだ。毎度毎度、「どのようなお考えでしょうか。」とばかり質問するのも芸がないので「どのようなおつもりでしょうか」と言うこともあるわけだ。
ただ、「おつもり」って、使いながらも実は、何となく違和感がある。本当に正しい敬語なのだろうか。そう思ってネット上を調べてみても、使用例もそれなりにあるし、間違ってはいないようだ。特に、「おつもり」が変だというような記述も見当たらなかった。
文法的には間違っていないのかもしれないが、感覚的にあまり馴染めないのは、私だけなのだろうか。私はこの「私だけなのだろうか」というフレーズが嫌いなので、実際に私だけなのか、調べてみた。
国会での「おつもり」使用数を、議事録で検索し、年毎のグラフにしてみた。いわゆる「55年体制」が成立した1955年以降の使用数を見ると、波はあるが、コンスタントに使われているようだ。
59年間(1955~2013)で、年平均215回である。国会の会期日数は年250日と言われるので、それにやや足りないくらいか。つまり、国会をやっている日はどこかで、毎日1回程度は「おつもり」が使われ続けているわけだ。
このように昔から使われている以上、敬語を知らない最近の人が間違って使っているというわけでは、決してないようだ。むしろ、私があまり敬語を知らないので、変だと感じるだけかもしれない。
今回わかったことはもう一つ。「おつもり」の使用数は周期的に変動しているということだ。今度、「おつもり」が 多い時期と少ない時期がなぜ発生するのか、時間があったら調べてみようと思う。たぶん、そんな暇は一生ないだろうが。
というわけで、今日の結論。変だと思うのは「どうやら、私だけのようだ。」