苫野一徳著『愛』を読みました。
苫野一徳著『愛』を読みました。
「自由とは何か、それはいかにして可能か」を解き明かした苫野先生が、「愛とは何か、それはいかにして可能か」を解き明かした、構想20年という力作です。
愛とは、なんでしょうか。必ず最後に勝つものか、世界の中心で叫ぶものか、大袈裟だけど花束に込めるものか、それとも、決して後悔しないことか。ねぇどうして ルルルルル 涙が出ちゃうんだろう...。
苫野先生はそこに哲学的な答えを提示します。それは弁証法的な答えです。自由もヘーゲルでしたが、愛もヘーゲルです。さすが苫野ワールド全開です。
本書が提示する「真の愛」には納得できるものがありました。しかし、それは「愛」の本質なのか、「愛すること」の本質なのか。愛されること、愛し合うこと、も含めた「愛」の全体像なのか。そこはまだ、私にはわかりませんでした。
全人類を愛すること、全人類から愛されること、全人類と愛し合うこと、は別のことであるように思えます。最初の一つができたと自称する人や神はいても、後の二つには、これまでどんな人も神も、残念ながら成功したことはありません。
「愛」はいかに可能か、という問いに対して、「愛すること」だけでなく、「愛されること」、「愛し合うこと」についても答えが出れば、「人類愛教」が描いた世界も実現するはずです。苫野先生にはぜひ、それまで頑張っていただきたいと思います。