昔イメージされてた監視社会って、政府が全国民の言論を監視してるような社会だったけど、今向かってるのは、全国民が全国民の言論を監視してるような社会で、そっちの方がより窮屈な気がしますね。
そういう社会を生きる子ども達に何を教えるか、大人がどう手本を見せるか、が大事だと思う今日この頃です。
これは、ネット上で何を言うかというだけの話ではなく、自分はネットをしていなくても、「こんなバカがいる」とすぐネットに上げられてしまう社会という意味でもあります。子どもにとってはそちらの方が現実的なリスクかもしれません。そういう意味では、「言論」というより、「言動」といった方が正確かもしれませんね。