政策作ってる人のブログ

政策をつくる仕事をしながら、考えたことを書いてみます。

生きる力と同調圧力

今学期のレポート採点が終わった。「現代教育思想」という小難しいタイトルの授業だけれど、学生の意見はみな素直でかわいらしい。それでも、100人近くのレポートを読んでいると、中には思わずハッとするものもある。今年はこんなのがあった。

 

「生きる力」は、「自ら学び、考え、主体的に判断し、行動する」力となっているが、現在の教育は、「みんなで学び、考え、みんなで判断し、行動する」ことを促している。

 

これには唸った。恐ろしく的を射ている。

前者の「自ら・・・」というのは、教育関係者なら誰でも知っている呪文のようなもので、日本人に足りない力、今後ますます必要になるとされる力である。日本の教育がこれを目指していることは、教育関係者の共通認識だといってもよい。もちろん、この「自ら」というのは本来、一人でという意味ではなく、自発的に、自主的に、というニュアンスである。

 

一方で「みんなで・・・」というのも、協調性を重視する日本の学校では日常の光景である。班活動や学級会のように目に見える場面だけでなく、普段の学習活動や学校生活、学校行事でも、みんなで何かを考えて成し遂げるというのは高く評価される。それは、教師の本能をくすぐる高度な教育目標でもある。

 

ここで、前者(自ら・・・)と後者(みんなで・・・)を比べると、両立できる部分もあるかもしれないが、一点において明らかに違っている。それは、「人と違う意見を持つ」ことが、前者では奨励されるが、後者では奨励されないという点である。一人でやるよりみんなでやる方が評価される。ここに、学校生活の息苦しさ、日本社会の同調圧力が見事に表れている。これでは「自分一人でもいいから行動する力」は育たない。

 

教育関係者は、これまで何十年間も「自ら学び、考え、主体的に判断し、行動する」力を育てようと頑張ってきた。それが成功していないのは、それを目指しているつもりで、実際には「みんなで学び、考え、みんなで判断し、行動する」教育を行ってきたからかもしれない。

 

最近、「アクティブラーニング」という流行の中で、グループでの協働作業がさらに推奨される方向になっている。これまでの「みんなで・・・」というやり方ではなく、「人と違う意見を持つ」ことを奨励しながら進めなければ、「生きる力」からますます遠ざかる結果になりかねない。