文科省の合田財務課長のご著書です。本書については、何度も読んで何度も考えたことがたくさんあるのですが、起承転結という感じで4つにまとめてみました。
1.著者について
平成20年・29年と二度の学習指導要領の改訂に携わられた合田課長は、新指導要領が実施されるこれからの十年間、教育政策のど真ん中に座ることになる方です。
ご本人を知る方は誰もがご存じのとおり、人格・識見ともに文句なしに、文科省のエース中のエースと呼べる方でしょう。私が入省した二十数年前には既に、係長ながら省内で一目置かれる存在でした。当時は寺脇研氏が「ミスター文部省」と呼ばれていましたが、合田課長はこれから「ザ・文科省」と呼ばれるにふさわさしいと、私は勝手に思っています。
2.内容について
本書は、その合田課長の、学習指導要領への「愛」が詰まった本です。
学習指導要領は、決して無表情の官僚が機械的に作っているのではなく、ベテラン教員も含む多くの有識者が議論を重ねて作ったものであること、合田課長はじめ文科省の担当者も、強い想いを持っていることなどが伝わってきます。そのことだけでも、類書にはない価値があります。
また、決して学校現場に無茶なことを要求しているわけではない、という姿勢も伝わってきます。これまで積み上げてきた日本の学校教育の実践に自信を持ってほしい、それを充実・発展させていった姿が、これからの求められる学校なのだ、という姿勢です。本書を読んだ先生方は、必ずや勇気をもらえることでしょう。
3.学校の将来像について
一方で、本書が示す学校の将来像は、「これまでの学校を充実・発展させたもの」であるがゆえに、課題もあると考えます。具体的には、以下の2点は、幅広く議論されてよいと思います。
①学校の役割・教師の役割について
一点目は、本書を読む限り、学校の役割・教師の役割はますます増えそうですが、減る展望も欲しいという点です。
例えば、「これからの教師には、(中略)『主演俳優』という役割だけではなく、(中略)『演出家』や『脚本家』、(中略)『コーディネーター』としての役割がどんどん重要になってくる」(p.90)とあります。
これから増える役割があるならば、減る役割もなければ、教師の多忙化は加速するばかりです。本書も働き方改革については触れていますが、雑務を減らすというレベルに留まっているように思います。合田課長は、現在まさに働き方改革の担当課長でもいらっしゃるので、「学校の役割・教師の役割」の改革にも辣腕を振るってくださることを期待します。
②教科中心・教師中心の学校像について
二点目は、本書の示すこれからの学校像が、教科中心・教師中心という色が濃いように思える点です。
例えば、「文科省はもう二度と『知識はいらない』『教え込みはいけない』『教師は、指導者ではなく支援者である』などと言ってはいけないと思っています」(p.166)とあります。同様のフレーズが何度か出てきますので、合田課長はこの点についてかなり強い想いを持たれていることがわかります。
確かに、かつて文科省(旧文部省)がそう言い過ぎて混乱を招いた面はあるでしょう。ただ、「知識はいらない」は論外としても、後の2つについては、当てはまる場合もあると考えます。特に、第8章にあるように「K-16プログラム」(幼児教育から大学までの連結性・一貫性)という考え方に立てば、年齢や場面によって、教え込むべきでない場合も、教師が支援者になる場合も大いにあるはずです。
これからの学校も教科中心なのかという点も、例えば、年齢や個人によって「教科」と「教科の枠のない時間」の最適な比率は変わってくるのではないかと思います。
4.おわりに
合田課長の語り口はとても丁寧で柔らかく、誠実な人柄が伝わってきます。その中で、よく読むとかなりエッジの効いたことも言っています。読み返すたびに新しい発見がある本ですので、ぜひご一読、ではなく、二読、三読とされてみることをお勧めします。